庚申講──村ごとに営まれた集まり

庚申塔(こうしんとう)を建てたのは、多くの場合【個人ではありません】。

「庚申講(こうしんこう)」という集まりが建てています。


講とは

・地域の人が集まって作る組織
・特定の信仰・行事を共同で営む
・費用を出し合う

庚申講だけではありません。

念仏講/観音講/伊勢講/[月待講](/nijuusanya/)/山の講

村には複数の講があったとされています。


庚申講が何をしていたか

① [庚申の日](/koushin-no-hi/)(60日に一度)に集まる
② 夜通し起きている([庚申待](/koushinmachi/))
③ 飲食する
④ 節目に石塔を建てる ← これが庚申塔

③がわりと重要です。


「信仰の集まり」だけではなかった

これが庚申講の面白いところです。

・年に6回、村の家々が一晩集まる機会
・宿は持ち回り
・飲食を共にする
・情報交換の場になる
・村の相談ごとが決まる場になることもあった

信仰と同時に、【村の寄り合い】として機能していたと説明されています。

夜通し起きているという建前が、 実際には交流の時間を生んでいたことになります。


石塔を建てるタイミング

・三年(18回)の庚申待を満了した記念
・六十年に一度の【庚申の年】
・講の結成・再興の記念

「三年満願」という言い方が銘文に現れることがあります (→ 文字を読む)。


人名が刻まれる理由

庚申塔には講員の名前が連名で刻まれていることが多いです。

・十数名〜数十名
・苗字が同じ人が並ぶ = 同族
・「講中」「同行」という語で括られる

これは費用を出した人の記録でもあります。

だから庚申塔は墓ではありません。刻まれた人は建てた時点で全員生きています。


塔の大きさに規模が出る

小さい塔 … 数戸の集まり
大きい塔 … 講の規模が大きい/裕福な村

塔の大きさと人名の数は、その村の状況を映している可能性があります。

→ 庚申塔の見方


講はどうなったか

多くは途絶えています。

・生活様式の変化
・村落共同体そのものの変化
・戦後の急速な変化

→ 庚申信仰はいつ衰えたのか

ただし、今も続いている地域があります。

・形を変えて(食事会・親睦会として)
・年に一度だけ集まる形で
・庚申塔の清掃を続けている

供え物や花がある庚申塔は、 まだ世話をしている人がいるということになります(→ お参りしてよいのか)。


まとめ

  • 庚申塔を建てたのは個人ではなく「庚申講」という集まり
  • 講は地域の共同組織。庚申講以外にも念仏講・観音講などがあった
  • やっていたのは集まる → 夜通し起きる → 飲食する → 節目に石塔を建てる
  • **信仰と同時に【村の寄り合い】**として機能していた
  • 建てるタイミングは三年満願・庚申の年・講の結成記念
  • **人名の連名=費用を出した人の記録。**建てた時点で全員生きている
  • 塔の大きさと人名の数に、その村の規模が出る
  • 多くは途絶えたが、形を変えて続いている地域がある

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